日本百名山は90年〜2000年くらいに入って人気が急浮上しました。いまやTVのおかげで知らない人も少ないと思います。
確かに選ばれた100山の一座一座を見てみると、どこも素晴らしい山が勢ぞろいしていて登る価値は絶大に思えます。
しかし、です。
百名山を目指している登山者というのを、私は登山経験者とはあまり見ていません。
ましてやベテランではない、と考えています。
百名山を目指す行為というのは、登山そのものの本質とは別物なのです。
これはあくまで私個人の考えですが、100名山を登ることを否定しているのではありませんのであしからず。
むしろ、登山のきっかけは100名山でも何でも良く、そこから登山・山に対する自分の意識というものを再確認、成長につなげていければ最高ではないかと思っています。そのひとつの視点・見方として理解してもらえれば幸いです。
100名山をコレクトしている傾向が強くはありませんか?
そういう人はとにかく短期間で効率よく山を回ろうとしているように見受けられます。とくに時短とか記録的なことにこだわってる場合です。
それでも楽しんでいるなら、まぁそれでいいんですが、きっとペースが早ければそれは強迫的になるでしょう。
もっと視野を広げて山を楽しんでもらいたいものです。というより、それがまだ必要な段階ってことなのでしょうか。価値観は、他人に見せるため、から、自分そのものの本質に向いて歩かせるべきです。
そうでないと「山の気づき」はなかなか起こりにくいかもしれませんね。
100名山を登るにあたって、計画的に進めて行くことは悪いことではありません。
しかし、「登ってないから行く」ということは、「登ったから行かない」という次元の低い行動になっているのかなぁ、とも思います。
私など、数千回山を登っていますが、いまだに100名山は完登していません。
だからといって、損をしているとか思わないし、同じ山っていうのは「同じ経験をする」こととは違いますので、1000山登れば1000の体験ができるわけです。
つまり「100名山を登った」ということは、「100の登山経験をした」というに過ぎないのです。
あなたがもし65歳を過ぎていたら、すこし急いだほうがいいかもしれません。きつい登山ができる年数が限られているからです。
でも、ちょっとまってください。
100名山を目指すがために、焦ってつまらない登山を強行するくらいなら、残された時間と日数を自在に楽しんだほうがお得な気もするのです。
百名山を目指すとか、決心するのは自由ですが、95座だったら気がすまない、となるでしょう?
それをこだわりといいますね。
また、若い人で100名山を目指す場合は、もっと1座を大切に登ってほしいものです!
大切に!というのはちょっと語弊があるかもしれません。
山はピーナッツじゃありません。一座一座、とても素晴らしく、ルートも季節も色とりどりです。
もし、一生に一回しか登らない山だとしたら、急いで登ってもしょうがないでしょう。
それでも若者は先を急ぐんですよね(あるある)
急いで、詰め込んで計画するあまり、その山の、素晴らしい面を見ずに裏手の安易なルートを辿ってしまうような登山は…。何度も言いますが、山がもったいないでしょう。
体力面などの理由もあるかもしれませんが、なるべく充実した山を経験できるような楽しいコースを選びましょう。
「○○ツアーの百名山5座登頂4日間」など、ちょっとそれは無いと思うんですが…
日本百名山に登ったゾという名誉バッヂが欲しい人は、自分の証に重点がある人なのかもしれません。
それはそれでよしとしましょう。
それでも登っている体験が主だと言っておきましょう。
楽しかろうと、苦しかろうと(笑)
頂上に立つことだけが目的になっていませんか?
100山登っている間、歩き方はマスターしたのですか?岩場歩きは軽快ですか?天候や行動時間は読めますか?道具について吟味工夫していますか?アクシデントに対応できますか?高山植物や地質学の知識は豊富ですか?・・・
山で培ったものはありますでしょうか。
登山がそもそも好きになる人たちというのは確かに存在します。
100人いたら、そのうちの数名でしょうか?
でも現在は、情報・交通・ファッション・媒体メディア・設備・登山ツアーなどインフラが整い、本来登山をしなかったはずの人も山に入りつつあるような気がしています。
百名山を目指すというのも、そのキッカケの一つなのかもしれません。
現に、100名山を目指している人は多いのですが、登山をやめる人というのも日本百名山到達者の中には結構多いように思えます。
確率がどのくらいなのかわかりませんが、普通はなにか事情がない限りは、登山というものは、辞めると決めることもないと思うのですけど…。
100名山を登り終えると、なにかホっとする瞬間がやってくるのでしょうか?
(ノルマ達成!?義務からの解放!?)
それは一瞬で消えて、あとは「登ってきたぞ」という自分のタイトルが獲得されるのでしょうか?
もう山を夢中で登っている人は、山登りは日常の一部、日課の一部になっていることでしょう。
それは、自分を解放してくれるものとして、楽しんでやっています。しかし、下ってきてからのタイトル獲得のための行動はそれとは別です。
こと、100名山だけを目指す人の中には、何かミッションのようなものになっているのでしょうか?
そこには与えられないと動けない思考パターンから、自発的な思考パターン回路にチェンジするチャンスがあります。
NHKEテレ
「NHKでやってたから」「雑誌に載っていたから」で動いていませんか?
で、こんどはヤマレコなんかで徹底的に調べまくってしまうアナタのことです。
山は辿るものではなく、自分で登る(下る)ものです。
確かにメディアで取り上げられるのは、それなりの理由や人気があるからでしょう。
しかし、最終的には自分ですべて(判断)できることが望ましいです。
そうでないと、単なる「聖地巡礼」になってしまいます。
流されやすい人は、あまり多くの情報を取り入れないほうが、よりインパクトのある登山が楽しめることを知って欲しいと思います。
NHKのEテレも言ってるじゃないの
知らないってワクワク
100名山を目指す人にありがちなのは、いつも頂上を目指しています。
そして三角点にタッチ(笑)
頂上に着いたかとおもえば、気が済んですぐに帰ろうとします。
ルートのことを覚えてますか?
大事なのはいつですか?
今でしょ?
殺伐とした経済社会から開放される瞬間が山だと思います。
その開放感は、人間のルールからの解放、自然のエネルギー、自己浄化などにより感じられるのではないでしょうか。
そうだとしたら、自分の生活の多くが山(自然)にシフトしていくことは素晴らしいことだと思います。
山にハマっていく人の多くは、あれもこれも登り尽くしてはいるけれども、山からの大きな学びを経験できるかどうかはその人次第です。
そして、その先には何が待っているのでしょうか?
百名山というのはキッカケです。
人間が作った言葉です。それは自然界の中には存在しません。
それが分かれば、山から得る感動はきっともっと高まるはずです。